平成の書・21世紀の書を求めて
【21世紀へ向けて】
平成5年(1993年)の第45回毎日展では、公募作品数は29,598点と、3万点に迫った。全体に高齢化している公募者、若年層の掘り起こし、作品寸法など、将来に向けて対応すべき問題も多くなった。翌平成6年には、毎日書道展の将来を考え、同時に50周年記念行事を検討するため「本展企画委員会」「事業企画委員会」の2つの委員会が設置され、いくつかの提言が理事会に出され、実施に移された。本展についての改革は、平成8年(1996年)の第48回毎日書道展で実施された。改革点は3点に及んだ。
(1) 従来の「一字書部」を「大字書部」と改名し、字数を2字までとした。これに伴い「漢字II類」の字数は3字から20字までに変更された。2字にすることで、大字の新しい表現に挑戦するためでもあった。
(2) 公募作品サイズの変更。寸法の縮小は、公募点数増に対応する陳列の問題と、書きやすさなどが考慮された結果だった。寸法は篆刻、刻字以外は「6尺×2尺」「5尺×2.4尺」「3尺×4尺」(縦横自由)の3形式に改められた。
(3) 会友の所属部門の作品は、無鑑査(入選扱い)としたことである。会友制度は、毎日展入選10回以上の人を、その功労に報いるため、第41回展から発足した。しかし、会友作品は一般公募と同様に鑑別・審査を受けており、功に報いる形になっていなかった。
3つの改革を実施した第48回毎日展の公募作品数は、30,009点と初めて3万点台に達した。翌年は微減したものの、半世紀の歴史を刻んだ第50回毎日展では30,358点と、毎日展始まって以来の最多点数を記録した。
第48回毎日展の表彰式で、小池唯夫理事長(毎日新聞社社長)は「毎日書道会では、なるべく多くの方に出品していただきたいということで、作品サイズの縮小や会友の作品を無鑑査にする、また一字書部を大字書部に名称変更するなど、いろいろな改革をしてきました。そういう努力の結果が、今回3万点の大台に乗ることになったと、心から皆様にお礼申し上げたい。毎日書道展が益々発展するための、今年はひとつの節目の年であったと思います」と挨拶している。
毎日書道展の本展以外の国内展では、平成5年(1993年)から、毎日新聞創刊120年を記念して、毎日新聞社と毎日書道会の主催で「国際高校生選抜書展」が創設された。感性のある人たちに、若いうちから書を学んでもらい、次代のリーダーを育成し、21世紀の書道界を切り開いてもらう期待から始まったもので、同年2月に大阪市立美術館で開催された。国内高校生から30,478点の作品が寄せられ、入選・入賞作品1,727点と、海外・在日留学生11か国122点の招待作品を一堂に展覧した。初春の大阪での開催ということで、「書の甲子園」の愛称で親しまれ、平成9年(1997年)の第5回記念国際高校生選抜書展では日本を含む17か国、52,414人が参加し、作品も格段に向上した。
また平成4年(1992年)2月には東京・竹橋のパレスサイドビル1階に「アートサロン毎日」を開設、前年まで海外7都市を巡回した「現代日本の書」帰国展が開催された。アートサロン毎日は毎日展の役員書家、団体、会員昇格記念展など、作品発表の場として利用されるようになっている。
【広がる国際交流】
毎日新聞社、毎日書道会が主催する海外展はその後、第45回展記念の平成5年(1993年)米国・ワシントンDCとクリントン米大統領の出身地・アーカンソー州リトルロック市で「現代日本の書」展が開かれた。大規模な海外展は第50回展記念の平成10年(1998年)の北京、パリ、ストックホルム3展まで開催されなかったが、東アジアでの書の国際交流が急速に進んだ。
平成2年(1990年)には中国、台湾、韓国、香港、マレーシア、シンガポール、日本の7か国・地域が中心になって、シンガポールで「第1回国際書法交流大展」が開かれ、毎日書道会から32人の役員書家が出品した。交流大展はなるべく2年に1度開くことになり、第2回展は平成5年 (1993年)北京で開催された。
そして平成7年(1995年)は日本開催となり、毎日新聞社と毎日書道会の主催で11月未から12月初旬まで「第3回国際書法交流東京大展」が開かれた。毎日書道会79人の作品はじめ中国、台湾、シンガポール、韓国、マレーシア、香港、アメリカ、フィリピン、カナダ、フランス、オラ ンダ、インドの13か国・地域から参加があり、開会式には土井たか子衆院議長が出席した。平成9年(1997年)には、第4回がマレーシア・クアラルンプールで開催された。
刻字部門も日本刻字協会が中心になり国際交流に取り組み、平成5年には日本、中国、韓国、シンガポールの4か国で国際刻字連盟が設立された。翌年には中国で日中韓3国による第1回国際刻字芸術展が開かれ、刻字協会創立25周年にあたる平成7年(1995年)には東京・池袋で、毎日新聞社も主催者になって、シンガポールも加わった4か国の「国際刻字芸術展東京’95」が開催された。その後シンガポールも回り、平成9年(1997年)には東京・銀座で「第2回国際刻字芸術展東京’97」が開かれた。新たにマレーシアが加わり5か国となり、交流の輪は広がっている。
また友好都市提携している北京、ソウル、東京(3都市の頭文字をとってBESETOと表記)の文化交流を目的に、平成8年には韓国で「’96ソウルBESETO国際書画展」が開かれた。東京都から毎日新聞社、毎日書道会に要請があり、書家30人の作品を出品した。さらに平成10年には東京で「’98東京BESETO国際書画展」が開催され、ここにも毎日展の東京圏1都3県の中堅・中心書家30人が出品し、自治体間の国際交流にも一役買っている。
このような交流展や北京・上海展、「中国へ書の研修視察団」派遣などを通じて中国の考古・文物に接する機会も増えた。その成果として、平成6年(1994年)には東京で「シルクロードのまもり中国・木簡古墓文物展」が開催され、中国・甘粛省文物考古研究所などの協力もあって、相次いで『中国甘粛新出土木簡選』『居延新出土書法木簡選』が出版された。
第50回記念毎日書道展にあたって、いくつかの行事・事業が展開されたが、20世紀後半の書芸術をリードした巨匠の代表作・話題作を展覧した「墨魂の巨匠一現代の書50年」展は東京、京都で開催され、大きな話題を呼んだ。現在も十分新鮮で、意欲的なこれらの作品を眼前にした ことで、多くの書作家は21世紀の書への取り組みを改めて決意した。